精子さんとの電話での話の中に、懐かしい人の名前がでてきました。 有櫛さん、もう40年も前の思い出。
東京の出版社から、版画集「花女童」を出すことになった時、6種合計1000枚以上を摺ることになりました。一人ではとても無理なので、助手をお願いしたのが彼でした。 吉田スタジオで働き始めたばかりの沼辺さんからの紹介でした。
横須賀の我が家、当時は「長井荘」ではなく、3DKの二軒長屋、そこにひと月ほど住み込みで、摺りを手伝ってもらったのでした。
その後すぐ、有櫛さんはカナダへ。 そこで摺師として働いた後、ここ十年ほどは針きゅうの東洋医学で生計を立てていると、風の便りで聴きました。 その彼が、近々日本に戻るかもしれないと。
戻られたら、ぜひ一度お会いして懐かしい話をしたいなぁ。