吉川さんからメール。タイトルが「飲み会」 おおっ、いつやるんだ、とはやる気持ちでメールを開くと、7月の安曇野での個展の時のことでした。 一八さんの土蔵に集まって・・・・
てっきり、以前約束した「大町小町」を紹介してくれるとか・・・期待してしまいました。あほや。
今日仕事中にふいに頭の中で響いたのは童謡。「可愛い魚やさん」?
こんな歌です。 ♪可愛い可愛い魚やさん ままごと遊びの魚やさん こんちはご用はいかがです・・・♪
北海道時代に母がかけてくれたレコード。 たしか毎月一枚ずつ配布されていたのでは・・?で、次に思い出したのは、庭の敷石に釘とトンカチで彫った髑髏マーク。東京に引っ越すことが決まった時でした。 子供心に「何か記念になるもの」を残したいと思ったのですね。
当時は「ぼくら」や「冒険王」と言った月刊の漫画誌によく投稿してました。墨で描いた丹下左膳や鞍馬天狗なんかを。 採用されるとバッチが貰えるのです。それが欲しくて。でも一度も採用されたことはなかったなぁ。
そんなこんなのことを思いながらも、仕事は順調に進んでいます。 明日から中彫。
1. 鞍馬天狗
小学生の頃か 先生が幕末に活躍した人は、誰かと 問いました。 僕は、冗談のつもりで 鞍馬天狗と答えました。 担任の先生が、鼻で笑いながら 架空の人物と 等々とまじめに いかにも 知ったかぶりに、説明を。 その先生、船で特攻の要員であって、十代の若い頃如何に、厳しいしごきを受けたかを とうとうと授業中に 話してました。 海軍は、外からわかる制裁をしないとかで、尻を思いっきり たたかれたとかで、時々癲癇の発作をおこして、泡を吹いてたのを覚えてます。 その先生が、存在感を表すのは、運動会の行進で、マイクも使わず 大声で歩き方の 指導を始めます。 如何に生徒が、歩調を合わせて 歩くのが大事か 何時間も続けるた記憶が。 腿を高く上げて 元気よくと。 この歩き方、日本陸軍の歩き方で、日本人が、歩くのがへたと言われる、所以です。 学校で、体育大会で、組別の競争するのも、陸軍の教練の名残という人もいます。 学校教育で、組別の体育の競争なんて 意味の無いことですが。 笑 東京オリンピックで 日本の選手団が、歩調を合わせて、閉会式を入場してたのが たった半世紀ちっよ前。 笑