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岡本流生清内路通信

Butu Butu

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Butu Butu

今日も良く彫りました。やってもやっても切りがないので、続きはまた明日。

吉川さんのブログ、Boso Boso と張り合うつもりはないのですが、今日、一日頭に浮かんだことを脈絡もなく、ただぶつぶつ呟いてみます。

横須賀の塾の時代、制約や前例に縛られることの多い学校の教師では出来ないようなことが出来たなぁ。自由に自分の理想の教育ができたのには妻の協力も大きかった。

心を病んだこと、耳の障害を抱えたこと、妻との別れ。そのことがあるから他の人の心の痛みが分かるようになったんだな。

この年になるまで、バイトを除けば、一度も人に使われたことがない。頭も下げずに、よくここまで来れたものだ。 だから、息子たちや教え子たちの方が、私なんかよりよほど大人だもんなぁ。

戦争は絶対だめだ。どう理由をつけても正しい戦争なんかないよな。もし戦争になる様なことがあったら、この命に代えてでも反対できるだろうか? 今の私なら、できると思う。

少年期は北海道、思春期から青年期は東京、子育て時代は横須賀の海辺、そして高齢者になった今が山里の村。自分から選んだわけではないけど、理想的な住まいの変遷だと感謝。

Aさん、K老さん、比登志さん。ここに自分が生きてゆく意義をを教えてくれた人たち。他の人の幸せが自分の幸せになる生き方に気付かせてくれた者たち。

運と縁、これまであった幾つもの人生の岐路で、私はこの二つに本当に恵まれたと思う。 仮にその代償として聴力を失うことが有ったとしても、そんなのは安いものだ。

遅かれ早かれ、いつかは破綻するものなら、63歳と言う年齢は早すぎず遅すぎず、そんな気がする。

ちょっとセンチな気分だ。 さて、飯と酒にするか。 明日は久しぶりに虫たちとでも遊ぶか?


そうそう、芸術のこと。 今日、浮かんだ命題は「芸術の世界でも、個体発生は系統発生を繰り返すのか」 仏教文化、縄文時代の土器や土偶、その様式の変遷の中に、芸術家個人としての作風の変化が運命づけられているのか?  これはもう少し考えたい事。

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