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岡本流生清内路通信

自画自解 21 Ukiyoe Tday

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自画自解 21 Ukiyoe Tday


21.Ukiyoe Today  No.7    シリーズ「Ukiyoe Today」より 1974年  8版

 吉田遠志先生に師事し、伝統的多色木版画の勉強を始めて半年ほど経ったころ、このシリーズが始まります。 

当時、若者達の性風俗の乱れが問題視され始めていました。 “風俗” と言えば浮世絵。この若者の風俗の乱れとやらを版画で表現できれば、それこそ新鮮でモダンな“現代の浮世絵”が描けるのでは? こんな思いで始めたシリーズです・・・・と書けば・・・・・・・これは当たり障りの無い表向きの綺麗事。 

実際は、Naoとの生活の中で感じた抑えようの無い嫉妬、怒り、悔しさ、言い換えれば傷付いた心が私を衝き動かしこのシリーズへと向かわせたのでした。発表当時のタイトルは「今様」 これを後に今のタイトルに改題しました。

このシリーズで翌年、版画協会展に初応募、初入選。 その後も同シリーズで入選をかさね、初入選から3年目に準会員に推挙されたのでした。

またこのシリーズ、身内以外に作品が売れた初めてのものでもあります。 その買い手がドイツ大使館の書記官で、後に彼からは“蔵書票”なるものの制作を依頼されることになるのでした。

シリーズは全19作品。 但し、完成作品として残っているのはその内の10種ほど。版木も、保管場所としていた押入れに雨漏りがあり、気づいたときにはもうぼろぼろで捨てるしかありませんでした。 この時は一緒に積んでおいた白黒時代の版木も随分捨てました。 

ここで、昔書いたエッセイから、版画協会展への初応募の時の、私の高揚した気持ちが書かれている部分を抜き出しておきます。



・・・・・・私は背中に版画をくくりつけた背負子を担ぎ、両手にも版画を提げて、上野公園の道を急ぎ足で歩いていました。 桜の開花ももう間もなくと言う頃の事です。 

公募展への初めての応募。動物園の壁に沿って都美術館裏の搬入口へと続く道には、同じような荷物を抱えた人達が黙々と歩いていました。 搬入口の横には大きな掲示板。二週間後にはそこに入選者の名前が張り出されるのです。

日本版画協会展。 


平塚運一、谷中安規、恩地孝四郎・・・・創作版画の歴史に名を残す、私にとっては神様のような大先輩達。 今、私はその後に続く一粒の種になろうとしていました・・・・
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