昨日の夜半の雪は心配したほど積もらず、雪かきもしないでに済みました。
今日も一日絵を描いて過ごしました。 「白狐」の新作。 昨日思いついた狐が夜空を駆けていく姿も描き加え、おおよその色も塗りました。 全体の雰囲気は狐の嫁入り。
サイズは「朝の水辺」とほぼ同じ。 私の作品では一番大きい部類のサイズに入ります。 版画にするとなると・・・・5か月から6か月はかかりそう。 でもその前に線や色をきちんと決めなくてはいけません。
先月の中ごろに注文した桜の版木「子猫をひろって」用は、今日も届かず。これで明日もまた下絵描きです。この三週間で随分描いたなぁと、自分でも感心します。
ブログにUPした「自画自解」 読み返していると≪木版画の枠を超えた表現≫を求めて、まあ、いろいろやってきたなぁと改めて思います。メゾチントに近い表現やリトグラフのような表現も。
用いる材料や道具から来る制約はどんな創作活動にもあるものです。ただ制作の≪自由度≫はジャンルによってかなり違いがあるのも事実です。 切り絵や単色の木版画、水墨画などはできる表現がかなり制限され自由度は低いと感じられ、逆に油彩画は自由度が高い感じがします。
それぞれのジャンルで、やはり≪できること≫ ≪できないこと≫が有ると言う事ですね。 前作の「また会えるかなぁ」では、本来なら木版画では出来ない部類に入ることをしたいと拘り、何度も版を彫りなおす羽目になりました。 しかも最終的には慣れた今までのやり方で仕上げたのです。気持ちばかりが空回りして、工夫がついて行けなかった?
ただ、制約が多いと言う事は、ある意味そのジャンルに特有の、他とは違う制約がある故の「定型の美」が有るとも言えます。 例えば俳句や短歌、漢詩の絶句や律詩のように。
民族の美的感覚が長い年月をかけて作り上げた「定型」にはやはり誰もが納得できる美しさと安心感、座りのや良さがあるのでしょう。