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岡本流生清内路通信

自画自解 26 君ありて我あり その3 講演

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自画自解 26 君ありて我あり その3 講演


余談かとも思いますが、澄生は棟方志功を版画の世界に導いた人でもあります。もうひとつこれも余談ですが、この版画と追悼の文章を私のHPでご覧になった「川上澄生美術館」の関係者のかたが居られました。その方からの依頼で、鹿沼の美術館でお話したのが以下に載せた一文です。


「我が心の師父 川上澄生」  鹿沼市立川上澄生美術館 講演

君在りて 我在り    君 種まきて 我 芽生えんとす
芽生えんとして思う 種まきし人を 
その人  川上澄生
鬼ごとの 鬼となりしや 初夏の 初夏の風となりしや 


皆さん、こんばんは。 今日、川上澄生についてお話しをさせていただく岡本流生です。 このような場所でお話をするのは初めてのことなので、かなり緊張しています。 オリンピック本番前の浅田真央選手のようなプレッシャーも感じています。 言葉につまる事もあると思いますが、どうかご容赦下さい。

まず、この素敵な美術館を初めて訪れた時に、ふと思い出した一つのエピソードからお話したいと思います。

昔、北原白秋の未亡人が私の伯父に嘆いたそうです。 その伯父は青年期からずっと若山牧水と活動を共にし、牧水亡き後は、その短歌結社の維持に奔走し、牧水の業績をまとめ、沼津に若山牧水記念館を作り上げた人でした。

さて、その未亡人の嘆きですが、こうです。 「牧水さんは幸せですねえ、貴方の様なお弟子さんに恵まれて、それに対して、私の夫、白秋は・・・・・あれだけ沢山の弟子がいたのに・・・・・皆、おれがおれがで、話す事といったら自分の事ばかり・・・・・

皆さんももうお分かりだと思うのですが、川上澄生もまた、幸せな芸術家だったのですね。長谷川勝三郎という弟子との運命的な出会い、そして、ご遺族の愛情もあって、芸術家としての生涯の仕事が、このような詩情あふれる美術館の形で残ったのですから。

これは常々私が思っている事なのですが、やはり、幸せな芸術家の周りには、いつも、素晴らしい語り部、理解者、そして協力者がいるようです。
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