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岡本流生清内路通信

負けました

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負けました

≪吾は薊 凛として 野に咲く≫ 来年用の年賀状の言葉です。これまでも絵手紙風の年賀状をいくつか作りましたが、その流れのものです。 こちらに来てからのでは ≪風まかせ さてさて何処まで 行くのやら≫  ≪転がり込んだ処で 頑張って 生きる≫ があります。

信州での山里暮らしに慣れるにつれ、添えられる言葉も、行き場のない諦めの気持ちから次第に前向きなものへと変わってきた気がします。

≪吾は薊 凛として 野に咲く≫ 私の場合は、こう在りたいと言う願いですが、先日お邪魔した篠井の法子さんは、まさにこの言葉のままの生き方をしている女性でした。 


一昨日昨日今日で3版6色の年賀状の版木を彫り終え、今、試し刷りをしました。まあまあの出来でしょう。 それにしても、仕事中のアトリエの暖かくて気持ちの良いこと。 今年は暖冬? そのせいかどうか、山の紅葉は今一つ冴えませんが。


「法子さんの古民家、見たら流生さんもきっと気に入ると思う」 出かける前に惠子さんが私に言った言葉。 着いてみると、まさしくその通りの、広くて美しい、趣ある古民家でした。どの位広いかと言うと、例えば二階。四十畳ぐらいの板の間の工房、南向きの大きな窓から差し込む明かりに幾つかの織機や染められ巻かれた糸の筒が浮かび上がっています。

その一画には、元のご主人(離婚後に他界)の著作を並べたコーナーも。 そのご主人は出版人で長井荷風の研究者だったそうです。著作の挿絵もご自分で描かれたとかで、壁にはその挿絵も飾られていました。

40畳の工房の隣はやはり板の間で写真や法子さんの絵が飾られ、更に奥には寝室や居室も。ここだけでも20畳以上はありそうでした。その二階へ上がる階段の踊り場には、私の作品「母のアルバム」が掛けられていました。レトロな図柄がその古民家によく合っていて、嬉しかった。


≪美しさ≫で言うなら、二階の、三段四段と組まれた梁は京都の無形文化財の商家でも見ているかのよう。一階の客間の天井の高さ、台所からストーブの置かれた土間、続く堀炬燵の切られた居間とそれに接する長いサンルームの間取りも魅力的。

そんな古民家に一人暮らして、薪を割り、畑を耕し、織りや染を・・・気が向けば読書や音楽も楽しむ・・・・

自立した女性の覚悟の良い生き方に完敗&乾杯!




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