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岡本流生清内路通信

往復書簡 Ⅶ

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往復書簡 Ⅶ

神田一明は弟日勝の絵をどう見ていたか。今日仕事をしながら考えていたのはこれ。

北海道の開拓農家の長男に生まれた一明。自分は後を弟に任押しつけるような形で東京の芸大に進学。父親が郵便配達をしながら送ってくれた金に頼る生活を続けて卒業・・・・弟日勝に対する負い目、後ろめたさ、感謝の気持ちは生涯変わらずにあったのでは。

自分は新進気鋭の画家として中央画壇で注目を浴びるようになった時、弟は一地方で細々と絵を発表し始めて・・・・

こんな状況をまず頭に思い起こし、考え始めました。 まず、一明は弟の絵を認めていただろうと思う。ある程度は。暮らしに根付いた重く土臭い絵、執拗に描かれたディテールの凄み、それだけではなく、懐かしい厩や牛舎や干し草の匂いも感じ取ったのでは。

画壇のエリートとして歩み始めた自分にはない≪強さ≫ ≪素朴さだけではない何か信仰のような力≫それは≪魂の叫び≫とも言えるものも認めていたのではないかと思うのです。

弟の絵に対する自分の絵のひ弱さ、技術に頼る者の浅薄さに内心気づきつつも、ひとはひと自分は自分と画業に専念するしかなかったか?とも考えました。それは私自身に当てはめて考えると、そう思えるのですが・・・

ただ・・・それでも、一明の場合は、自分の絵のほうが優れていると思い続けたのが本当では。近い身内の弟と言うことも有り、無心に評価することができなかったのではないかと。

「たかが地方の百姓の絵」「何を恐れる事が有る」とまで考えていたとしても不思議はないのです。そして、よもや将来自分が弟の風下に立つなどとは夢にも考えていなかったのではないかと思えるのです。


以上は全て私の勝手な想像です。一明が弟の絵について書いた文章があるなら、是非読んでみたい。そしてこの兄と弟の画家としての確執を考えると、そう言えば・・・吉田博、遠志、司とつながる「芸術の家・吉田家」にも同じような確執があるのだろうかとも考えてしまいます。


深刻になりすぎました。最後は笑いで。 いつもの≪今日の独り言≫

「よっしゃ、もがはいける!」 「この娘は版画にするぞ!」  モガもAKANEに負けないいい女なのです。
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